上盛山2016.4.15

かみさかりやま・314.7m 山口県上関町




上関大橋より上盛山を望む。
  

歩行距離 8.7km
所要時間 2時間55分
累積標高差 (+) 414m  (-) 414m
コース 道の駅上関海峡:06:35 → 分岐07:20 → 車道分岐07:40 → 上盛山08:00 → 
御汗観音分岐08:35 → 分岐08:55 → 道の駅上関海峡09:30 



「山口県の山(山と渓谷社)」の本で紹介されている山の全山登頂を目指している。未だに山口県南東部の岩国市周辺に未登頂の山々が14座も残っていてなかなか捗らない。ひとつひとつつぶしていくしかない。1泊2日の旅で三つの山を登り続ければ2〜3年で全山登頂が達成できるかもしれない。今回の休暇で2回目の車中泊の山旅は、上関の上盛山、皇座山、そして余力があれば大星山に登る計画である。これらの三つの山のどれも車で山頂まで行けるのであるが、それでは登ったということにならないので麓から歩くことにする。


4月21日10:00雨が降る中、萩を出発。徳佐、鹿野を経由し周南市に出て国道188号線に沿って走り道草をしながら4時間かけて上関町にある道駅・上関海峡に到着する。地図でみると上盛山のある上関町の長島は、車で直接行ける山口県の島のなかで最南端の位置にある。改めて山口県の南北の広さを感じる。九州なら九重の山に行ける時間だ。
道の駅のすぐ前には有名な四階楼がある。早速見学することにする。入館料は無料になっているが協力金を箱の中に入れる。四階楼は、1879年維新の志士であった小方謙九郎(明治陸軍の軍人であった中将・長岡外史の父)によって建てられた洋館風の建物である。四階楼は、汽船問屋「佐波屋(さわや)」であった小方の住宅兼店舗、汽船宿として利用されていた。
その後大正から昭和時代(1991年まで)にかけて旅館として使われたという。1階から4階の各部屋は畳部屋で、壁は白い漆喰で塗られ、建物の内部には鏝絵(こてえ)といわれる細工がある。三階の壁には唐獅子牡丹の細工がしてある。四階18畳の部屋の四方にはフランス製といわれるカラフルなステンドグラスの美しい窓がある。落ち着いた雰囲気でなかないいではないか。

四階楼を出た後、道の駅で夕食の食材を物色する。上関には漁港があり瀬戸内海で取れた魚介類の海産物が豊富だ。そのなかで値段が手ごろな鳩子てんぷらを買う。夕食まで間があるのですぐ近くにある「上関海峡温泉・鳩子の湯」に行くことにする。いままで周東近辺には、道の駅と日帰り温泉はないと思っていたのであるが。インターネット調べるとあるではないか。
道の駅・上関海峡は2年前にオープンしたものだ。絶好の前線基地を発見した。温泉を満喫した後再び道の駅に戻り、夕食を作る。早速、鳩子てんぷらを両面フライパンで焼いてみる。新鮮でもちもちしてとても美味しい。晩酌しながら豪華な!夕食を食べる。独で食べる車中泊の夕食はいつもながら少し寂しい・・・。テレビの受信状態は良好でワンセグではなく地デジがよく入る。道の駅の駐車場には他に車中泊と思われる車はいない。夜も更け車の屋根に叩きつける雨音を聞きながら眠りに就く。

翌4月22日05:00に起床する。雨はすでに止み天気がいい。今日は上盛山と皇座山の2座に登頂するつもりでいる。体力が続くかどかは分からないが頑張ろう。道に駅に車をそのまま停めさせてもらい、06:35出発する。歩道を歩き上関大橋に向かう。
上関大橋の袂にくると吉田松陰の詩碑があるのを見つける。吉田松陰が旅の途中、上関に立ち寄り詠んだ詩だという。

高度感のある上関大橋の歩道を少しひやひやしながら渡る。若い頃、船のマストのはしごをするする登り高さに対する恐怖心はあまりなかったのであるが、歳をとり最近高所恐怖症になってきた。
橋を渡り、上関漁港まで来る。登山道に入る道が分からずしばらく周辺をうろうろする。何か見覚えがある上関の漁港の風景。そういえば10年ほど前に一度来たことがあったのを思い出す。その時は車で上盛山山頂まで登り景色を眺めていたのだ。

当時、東京にある会社で陸上勤務をしていた。ある日の夜中1時ごろ会社の寮で深い眠りの中にあったのだが、突然、携帯電話の鳴る音に叩き起こされる。その時誰から電話があったのかは忘れたが、韓国の会社に船舶管理を任せている会社所有のケミカルタンカーが愛媛県松山沖の周防灘で爆発事故を起こしたというのだ。
すぐに会社に召集された。この爆発事故で痛ましいことであるが3名のフィリピン人船員が犠牲になった。残りの韓国人、フィリピン人乗組員12名は海上保安庁の巡視船に救助されたのだった。
船は12時間海上に漂いながら浮いていたが、結局水深80mある海底に沈んでしまう。その事故から約1年後だっただろうか、船は海底から引き上げられることになったのであるが、それまでの間会社は事故処理に大きな労力を要することになる。そのうちこの事故が原因で会社の体制も変わり、自分が1年後の船の引き揚げ作業に立ち会う羽目になる。


※ 萩(自宅)〜 道の駅「上関海峡」までの走行ルート(走行距離 - 136km)


巨大なクレーン船で水面上まで引き上げられた船の姿は変わり果て、無残にも上甲板の鉄板が全て吹き飛ばされ原形をとどめていなかった。爆発の破壊力はすざましいものである。船は水面上で補強のために仮修理され、因島にあるあるスクラップ工場まで曳航された・・・。
その時、毎日の事故現場海域までの移動は、上関漁港が基地になっていたのである。そんなある日の休みに引き上げに立ち会っていた保険会社の担当者が上盛山まで連れて行ってくれたのだ・・・。その時、上盛山山頂から見た絶景の記憶は今は無い。蛇足になってしまった。

上関漁港にあったベンチに座り、地図を広げ登山道に行く道を探す。民家の間を抜け高い方に向かっていけば登山道があるはずだ。
上関の民家の間の道を歩き、上関町の町役場を過ぎ更に民家の間の狭い坂道を上っていく。やがて上盛山山頂に続く舗装された車道の分岐に出る。すぐに左側に細い登山道の分岐があり、そちらの方向に進む。登山道の左手には横島を望むことができる。樹林のなかの緩やかな登山道を行き、左にため池、右手の畑を過ぎ再び車道に出会う。

山頂まで続く車道を行く。道沿いにたくさんの野花が咲いている。上盛山山頂付近は整備され公園のようになっており、車道の終点から白い階段を上り切りると灯台のようなコンクリート製の展望台が山頂中央にある。螺旋状の階段を上り展望台の上へ。頂上からは360度の展望が広がる。
海と山と島が織り成す風景のパノラマは圧巻である。個人的な感想であるが、山口県の山々の山頂から見える景色の中で一番美しいのではないかと思うほどだ。特に北側の皇座山の大きい山塊と上関海峡の風景が絵になる。

景色を楽しんだ後に、車道を下り上関の集落を経て上関大橋を渡り09:30道の駅まで戻る。車の中で残っていた鳩子てんぷらを焼いて遅い朝飯を食べる。運動したあとはいつも食欲旺盛だ。今日はこの後、上盛山山頂から目の前に美しく見えた皇座山に登る。



初日雨の降る中、四階楼を見学する。

四階楼(しかいろう)
四階楼は明治十二年(1879年)維新の志士小方謙九郎(1834〜1913)が建築した擬洋風木造四階建ての建物である。四階四方の窓にはフランス製と言われる赤、黄、緑のステンドグラスが短冊状や三角形状に入っており、洋風建築としてのたたずまいを引きたたせている。この建築の特徴は、建物を貫く四本の隅柱と二階より四階に通ずる八角の通し柱に取ついた廻り階段、洋風の軒蛇腹のある大壁漆喰で仕上げた外観などを挙げることができる。また、四階の四隅の丸柱に巻きついた巨大な雲龍、三階内壁の唐獅子牡丹、四階天井の鳳凰など、漆喰鏝細工の出来映えは見事なものである。
こうした大壁漆喰の木造四階建て建築は、全国的に見てもまれで、文明開化の地方への波及を物語る貴重な歴史的建造物である。なお、四階楼保存修復工事中の平成十一年七月九日に、「幣串」が発見され、建築年代、施主と共に、地元大工吉崎治兵衛により建築されたことが明らかとなった。(現地解説)

一階の間

三階内壁の唐獅子牡丹

三階には小部屋が二つある。

・・・

四階の窓にはフランス製と言われる赤、黄、緑のステンドグラスがある。天井は鳳凰の細工。

一階の間


・・・

・・・

昔の上関海峡

祝島に関する写真



上関海峡温泉、鳩子の湯に立ち寄る。

初日は道の駅上関海峡で車中泊する。

翌朝は晴天。出発時道の駅の前にある四階楼を見る。

上関大橋

上関大橋のたもとに上関海峡温泉、鳩子の湯がある。

上関大橋

上関大橋を渡る。

橋の手前にある吉田松陰の詩碑

橋の手前にある吉田松陰の詩碑

上関大橋から目指す上盛山を見る。下の建物は上関海峡温泉。


-明治維新と上関-
古くから海路の要所として栄えた上関には、いろいろな人物が旅の途中で立ち寄ったことが知られていますが、明治維新前後の動乱の時代には、吉田松陰や高杉晋作、木戸孝允といった志士たちが都や江戸方面との行き来の途中にしばしば立ち寄り、ここで会合を開くこともありました。特に室津の肥後屋や吉田家は、志士たちとの親交で知られ、これらの家には当時の資料が多く残っています。
長州藩も、軍事上周防灘の東の入口にあたる上関海峡は重要視していたようで、海峡をのぞむ上関側の高台には砲台が築かれ、また室津の西方寺には「義勇隊」「鴻城軍」といった諸隊が本陣をおき、海峡周辺の警備にあたりました。1864年(元治元年)には、現在の田布施町別府沖に停泊していた薩摩の商船を義勇隊の隊員が焼き打ちするという事件(加徳丸焼打事件)も起こっています。実際に上関が戦いの舞台となることはありませんでしたが、1866年(慶応2年)の四境戦争では、上関が作戦基地として利用されたようです。(四階楼にあった解説)

上関大橋を渡り長島から対岸を見る。

上関の港


上関の港

上関の港

民家の間を抜ける。


カキドオシ(シソ科)

登山口のある舗装道の分岐に達する。

分岐点を左に折れ木々の間の細い登山道に入る。

眼下に漁港を見る。

登山道はコンクリートで舗装されている。


・・・

眼下に横島を見る。

竹林の中に小さな沼がある。

・・・

再び舗装道に出合う

・・・


マムシグサ?


展望台の上には四方の展望図がある。


← 山頂に建つ展望台

展望台から見る山頂南西側の眺望・長島の南側と祝島などが見える。

展望台から見る山頂東側の眺望・上関と室津の港を見る。

展望台から見る山頂北東側の眺望・皇座山が美しい。

展望台から見る山頂北西側の眺望

上関海峡を見る。小型鋼船が行き交う。

下山は広い舗装道を下る。


カラスバト?


御汗観音分岐を通過する。


←民家の間を抜け上関港へ
↑上関水産で鳩子てんぷらを買う(もちもちして美味しい)。




■ HOMEへ戻る

総合登山記録  山口県の山  中国百名山 九州百名山  四国百名山  日本百名山   関東の山 南アルプス 屋久島縦走    
航海記録  旅の記録  海の風景・ギャラリー  沖縄  山で見た花


Copyright(c)2014 軽きゃんぱー里山放浪記. all right reserved.